私について

自己紹介

はじめまして!さらです。

このサイトをご覧いただき、ありがとうございます!

私は、毎日子どもたちの育児に全力を注ぐ普通の主婦です。

でも、ふと考えることがあります。

子育てを大切にしながら、自分の力でお金を稼げたら、もっと家族の未来が広がるんじゃないか?

――きっと、同じように感じている方もいるのではないでしょうか。

そんな想いから、私は月30万円を目指す在宅ワークに本気で挑戦することにしました。

このブログでは、そんな私が在宅ワークで収入を得るまでのリアルな挑戦を発信していきます。

まずは、そんな私がどんな人なのか、ちょっとだけ自己紹介させてくださいね!

基本情報

・名前:さら
・年齢:30代後半
・家族構成:夫・3歳&7歳の子ども
・職業:主婦+在宅ワーカー
・趣味:料理と手芸
・兄弟:2人姉妹の姉(長女)

【子ども時代】親の期待に応える優等生。でも本音は…?

私は、両親と妹の4人家族です。
父は仕事人間で、母はいわゆる教育ママでした。

幼少期から、お受験塾にピアノ・体操などなど、幼稚園終わりにあちこち習い事に行くのが当たり前の生活。
そんな生活にイヤとも辛いともなんとも思わず、小学校受験も志望校に合格。

小学校に入ってからも、電車通学だったので放課後に友達と遊ぶこともありませんでした。
帰ったらピアノに習字、テニスに公文、塾など、相変わらず毎日習い事に行くのが当たり前。
また、母親が厳しかったので、習い事後も宿題が終わったら毎日市販のドリルで復習&先取学習です!

今思えば、そこまで子どもの教育に力を注いでくれるということは簡単なことではないし、母親に感謝しています。
ですが、この頃は自分で考えることもなく、親の敷いてくれたレールに乗っかり続けることが当たり前でしたが、遊ぶ時間ももらえず、怒られてばかりで母親が大嫌いでした。

そして、このような幼少期を過ごしたことで

「学歴&大企業至上主義」

な自分が出来上がっていきました。

そして、母親の思い通りに、小中高とエスカレーター式に進学し、大学受験も有名難関校に合格します。

【大学時代】自由と反抗。でも「成功のレール」は外せなかった

大学生になり、今までに比べると自由を手に入れました。

そして、勉強もほどほどに、アルバイトや恋愛に夢中になります。

文系学部に進学したため、そこまで忙しいこともなく、華の大学生活を謳歌しました(笑)

そして学歴ブランドのおかげで、就職氷河期にも関わらず、無事一部上場企業に就職します。

「一部上場企業への就職が当たり前」

そんな母親の洗脳が学生の間に解けることはありませんでした。

【初めての挫折】憧れの一部上場企業。現実は地獄だった

私が就職したのは、金融系企業の営業職でした。

しかし、世の中は不景気に追い打ちをかけるように起こった3.11により、金融商品が売れる時代ではありませんでした。

特に、新卒社員はお客さんをもらえることもなく、飛び込み営業や架電リストを上から順番にかけていく新規開拓のみ。

さらに不景気中で私自身が売っている金融商品に魅力を感じていなかったこともあり、営業をかけることすら相手に申し訳ないと感じてしまいました。

さらに、職場は上司が上司にパワハラをして、怒鳴り声が響くのが当たり前の日々。

せっかく就職できたのにも関わらず、1年弱で精神的に辛くて会社に行けなくなってしまいました。

【転職後】居場所を発見!仕事中心の社会人生活

会社に行けなくなってから1ヶ月ほど休みましたが、働きたくなかったわけではなかった(+一人暮らしを始めてしまったため、お金が必要だった)ので、傷病休暇をとりながら転職活動をしました。

しかし、世の中は超絶就職氷河期!

大企業だけでなく、社員数百人の中企業も軒並み不採用。書類審査落ちもしょっちゅうでした。

そもそも募集すら激減。「大企業至上主義」なんて言ってられません。

そこで、中小企業や小さな会計事務所事務などにも幅を広げ、応募し続けます。

50社以上落ちまくったところで、ようやく採用してもらえたのが、社員50人程度のシステム会社でした。

ちなみに入社後聞いた話では、この会社の募集人数「3人」に対し、応募者は160人以上いたとのことです。今では考えられない時代ですね。

「システム会社」というと「長時間労働」や「夜間・休日作業」や「ブラック」など、あまりいいイメージがない方も多いかもしれませんが、私が転職した会社はそうでもありませんでした。

もちろん、残業はそれなりにありましたが、社員の仲もよく、色々な業務を任せてもらえて仕事も楽しくやりがいがありました。

そして社内結婚もして、この会社に7年勤務します。

【妊娠と退社】社会から切り離された生活へ

転職後6年経過したところで、第一子を妊娠しました。

眠気づわりと戦いながら頑張って働き続けていましたが、週の半分は出張しているような生活をしていたため、途中で断念。

また、未婚男性の多い職場だったこともあり、つわり中の在宅をしながらの働き方も理解してもらえず、早めに産休をとりました。

そして、産後は同じような働き方はできないため、出産と同時に7年勤めた会社を辞めました。

ここから専業主婦生活に突入します。

【今の私】子育ても、収入も諦めない!私の再スタート

第一子出産後、4年後に第二子も出産し、上の子はあっという間に小学生になりました。

育児生活は、毎日バタバタして必死な毎日ながらも、日々目に見えて感じることができる子どもたちの成長が嬉しく、とても楽しいものです。

ただ、子育てを7年間してきて、感じることがあります。それは、

子育てはお金がかかる

ということです。

おむつやミルク、教育費に習い事……正直、子育てって思っていた以上にお金がかかりますよね。

特に教育や習い事については、子ども時代の経験からお金の不安を感じていました。

私の子どもの頃、教育や自分のやりたいことについて我慢した記憶がありません。

夫もまた同じような子ども時代を過ごしていました。

そのため、夫婦そろって子どもたちのやりたいことはやらせてあげたい、教育にはしっかりとお金をかけてあげたいと考えています。

しかし、その一方で将来子どもたちにお世話になることがないように、自分たちの老後の準備もしっかりと考えていきたいと思っています。

子育てをしながら、

①子どもの育児資金

②自分たちの老後資金

両方が必要と思うといつも心の片隅に、お金の不安がモヤモヤと残っている――そんな状態でした。

そんな中で、いよいよこの春から下の子も幼稚園に入り、「子どもたちがいない時間」が7年半ぶりに訪れようとしています。

お金が心配なら自分でも稼げばいい

そう思い、この春に向けて自分で稼ぐための下準備(働く準備)をしていました。

しかし、私の中で最優先は「子育て」です。

そのため、私の目標は以下のように決めました。

お金も稼ぎたい。でも、子どもたちの成長は自分の手で見守りたい

教育にもしっかりとお金をかけ、やりたいこともやらせてあげたい

つまり、仕事をしながらも、保育園や学童に頼らずに、自分の目で、手で、育てたいと思っています。

まとめ

実現のための目標収入を30万円に定め、日々奮闘中です。(どうして30万円なのかは別の記事でお話ししようと思います)

このブログは、私の目標達成までの過程をお見せすることにより、同じような悩みを抱いている方の参考になればと考えています。

同じように子育てとお金に悩みながらも、新しい一歩を踏み出したい方にこのブログが少しでも勇気やヒントになれば嬉しいです。

また、同じように新たな挑戦をしたいと考えている方のお役に立てるような情報も発信していきます。

次の記事では、私がなぜ月収30万円を目標にしたのかを詳しくお話しするので、ぜひ読んでみてくださいね!

最後までお読みいただき、ありがとうございました!